教科書検定への政治介入

泊まりの仕事からそのまま翌日の仕事に突入して,少し疲れているみたい。

しかし,そんな個人的なことはどうでもよい。もっと大事なニュースがある。
教科書の沖縄戦「集団自決」修正問題、文科省が見直し検討

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071001-00000014-yom-soci

まだ「見直し」と言っているだけだから,検定結果を覆すか否か不定な状態だが,沖縄の人々の気持ちを考えると嬉しいニュースである。集団自決があったとする証言とそれを否定する証言がそれぞれ出てきているのだけれど,前者は非戦闘員が主張していて,後者は当時の軍人が証言しているようだ。極限状態であったろうし,それぞれの受け止め方があるから,曖昧さが残るのは仕方ない。
それでも苦しく,苦い思いをした人々の証言を「なかったことにしよう」という文部科学省の(正確には検定委員の)やり方には納得できない。

歴史はその時,その場に遭遇した人間の認識が次第に定着してできるものである。現実に苦しい思いした人がいるのだから,曖昧さを許容しつつ彼らの主張に耳を傾けるのが人間としての適当な判断だと思う。

ある意味で,沖縄は不幸である。
広島と長崎は原爆が落とされた都市として,一定の象徴という認識を(おそらく)日本中の人が,そして世界の多くの人々が知識として知っている。しかし,沖縄に対する認識は異なる。あの小さな島で大規模な戦争が行われ,徹底的なまでの爆撃と連合軍による蹂躙がなされたことを知らない人は多い。本土復帰後,観光産業を前面に押し出してきた沖縄。リゾート地として沖縄を捉えるだけで,そこで過去に何が行われたかを知らない若者も多いだろう。大江健三郎が多くの証言を集めて著した「沖縄ノート」。若干,左傾化しているとも感じるが,事実を事実として受け止め,当時の人々が何を感じたか,何故に次々と崖から飛び降りざるを得なかったかを考えるのにはオススメである。平和な世の中だからこそ,大江氏の著作等から過去の事実を知り,想像するのは我々の役割であろう。

さて,10月2日付けの新聞には上記に絡んで「記述内容の見直しに向けて動き出した」という記事が出ていた。その記事には,渡海文部科学相による「教科書検定に対して政治介入することは望ましくないが・・」という趣旨の発言が掲載されており,同時に社説には「教科書検定に対する政治介入の危険性」を説くものもある。しかし,過去においても実質的な政治介入が行われた例はある。「新しい歴史教科書をつくる会」が提示した教科書の記述内容に関して,中国や韓国からの反発が起こり,「政治介入しない」と言いながらも,諸外国に配慮するため外務省が圧力をかけたという事実がある。

大切なことは「事実を事実として伝えること」であり,史実として確定していない事象については両論併記するのが適当であろう。少なくとも一方的な視点で書かれた教科書については,何らかの指導を行うのが担当省庁のなすべき指導ではなかろうか。